ムルソー事変(Winekipediaより転載)

ムルソー事変

 

ムルソー事変(むるそーじへん、異体表記: ミュルソー事變)とは2018年(平成30年)9月にTwitterへの投稿を発端に、2ちゃんねるからツイッタランドへと波及したとあるできごとである。ワインの資格取得に関する一石を投じたものとして、ネット民の間には教訓を残し、平成最後の祭りとして今なお語り継がれる伝説の一つである。

ムルソー事件」「ムルソーの乱」という表記も散見されるが、事態の本質として「事変」の表記が適当とされる(後述)。特に乱という表現については「そもそもムルソーは何にもしていない」という史学者の見解が一般的にも定着しており現在ではほぼ使用されることはない[要出典]

後日、owarai_wine_tokeiya_21st._mirror(おわらいわいん・とけいや・とぅえんてぃふぁーすと・みらー、旧名・異名:時計屋ワイン店→お笑いわいん時計屋→owarai_wine_tokeiya_RETURNS)により詳細に考察されたことで、ワイン界のサブカル史に残るできごととなった。

 

 

 

発端

2018年9月5日のツイート

ことの発端は2018年9月5日のあるワインスクール校長(以下Kと表記)のツイートに始まる。


にちゃんのソムリエ試験スレに「ムルソー飲んでみたい」って書いてあった。ムルソー飲んだことないひとが受験する時代なんだな。

 

元来140文字という制限の中で発信するTwitterのツイートの中でも短めの60文字程度のつぶやきであった。ツイート自体は「リツイート11件、いいね21件(2018年9月6日現在)」というツイッタランドでは小ヒットな位置づけであり、内容的にもつぶやきの意図は日本にワイン文化を定着させることになったワインブーム期をリアルタイムに過ごした投稿者の、近年のソムリエ試験に対する率直な感想であったといえる。

 

2ちゃんねるにおけるソムリエ試験

一方2ちゃんねるではかねてより日本ソムリエ協会認定のソムリエ資格試験に対するスレッドが作成されており、事変の起きた2018年9月時点においては「20限目」と題されたスレッドが立ちあげられていた。


ムルソー事変

2ちゃんねる上の発言

2ちゃんねる「ソムリエ、WE認定試験 20限目」において、以下の投稿がされたのは「2018/09/06(木) 00:46:36.58」である。

 

今、ツイッターで#ソムリエ試験を見てたら
2ちゃんでムルソーを飲んでみたい。って書いてあって、ムルソー飲んだことない人が受験する時代なんだな。って書いてた女がいた。

確かに見た時、ムルソー飲んだことないんだ。って思ったけどSNSにわざわざ書く必要あるの?
別に飲んだことなくても良くない?
これからいくらでも飲む機会あるよ。 (以下略)

 

 

Kのツイートから1日置かずにこういう話題が2ちゃんねるに出るあたり、すでにワインブームが過ぎたといわれて久しいが、それは過ぎたのではなく、ワインという文化が定着したのだという見方もある投稿であった。
またこの投稿はKのツイートを批判するように読める入り方をしているが、その後半には発言に共感する記述も見られ、あくまで反論を唱えつつも中立的な意見であったと思われる。

しかしその投稿の一時間後に、次の投稿がされる。

 

あー×××(※原文表記を伏せる)の校長ねー,まあ知らんけど。しょうがないじゃんねー、中国人のおかげでワインクソ高くなっちゃったんだし。昔は安かったんだもんねえ。ムルソー飲んだこと無いのがとか言われたって困るわな。
スクールに来る人の神経逆撫でしてどうするんだろうね。明日には慌てて削除すんのかな?オイラはここのみんなのおかげでスクールには通わずに一次は突破したけど、二次どうしようかな~スクール行く暇なんかないし。

 

この投稿においては最初の投稿のツイートに対するKへの共感部分はそぎ落とされ、より明確に反論がなされている。そのためこれが実質的なムルソー事変の始まりであったとする説が現在も有力である。

さらに続けて以下のような投稿があったことから、このできごとはあくまで主義主張の異なる二派によるよくある論争のひとつであり、紛争ではないと見られている。

 

いや、ムルソー飲んだことないソムリエとか私は嫌だよ。信用できない。
エキスパートだとしても、フランスの銘醸地くらいは飲んどこうよって思うし…。
サントーバンとかならまだわかるけど、ムルソー飲んだことないは、ないな。

 

そのため当件は事件ではなく、事変と称されるようになった。

以降もKの目線が上からだという主旨の発言がある一方、以下のように受験生の幅の広がりを指摘する意見もあり、それぞれの主張が交錯していくことになる。

 

ムルソーの件、受験する人の層が広がったんだなぁ、って意味でしょ。どう考えても。
想像力、読解力がなさ過ぎて呆れるしか無いね。

 

経験値のあるプロの立場からはワインに携わる専門職および志願者の多様化を物語るできごとであり、ネットワイン界においてはワインブームの始まった平成の最後を彩る祭りであったとする意見が多い[要出典]

またこの時点ではKは事変に直接的な関与をしていない。

 

イッタランドとの交錯

2ちゃんねる上での祭りは翌9月6日の夜間にはほぼ終息する。その話題はワインスクールに関する別のものへと流れていった。
しかしそれと並行して、Twitter上では別の動きが起きていた。

Kの投稿に対して、時系列的に2ちゃんねるの書き込みに端を発したと思われる批判的な返信がおこなわれるようになる。ワインスクール校長による受験志望者に対するマウンティング行為というものが批判派の見解としては象徴的なものであった。

だが同時にKのツイートの主旨を理解した内容の返信(擁護派)もおこなわれた。またKはあくまで批判的な投稿には誠意をもって答え、擁護派に対しては謝意を述べるといった対応をしている。そのような対応を目にした投稿者の中にはKに対して「そのセーブ力」を称賛するものもあった。

 

ムルソーとは

ムルソー事変」の呼称ともなったムルソー(Meursault)は、フランスのワイン法上における原産地呼称のひとつである。ワイン大国フランスの中でもボルドー地方と並び二大銘醸地と称されるブルゴーニュ地方、コート・ド・ボーヌ地区に位置する村であり、白赤のワインを生む。赤ワインも産するが特に白ワインの人気が高い。
同地区にはシャサーニュ・モンラッシェ、ピュリニー・モンラッシェ、コルトンなどの銘醸地が存在しているが、そのいずれもがワイン法上の特級畑(グラン・クリュ)を擁している。しかしそれらに並び称されるムルソーには一級畑は存在するが、最高位となる特級畑はない。それにも関わらず、その各村と並ぶほどの人気と知名度があるところが特徴である。また日本ではブルゴーニュを代表する白ワインとして知られている。

そもそもムルソーとはどんな立ち位置だったのか。前述のとおり、シャサーニュ、ピュリニーと比較すると、特級畑がないという時点で後塵を拝しているという見方もあるが、この地にはスター生産者が存在している。先鋒としてはコント・ラフォン、その後コシュ・デュリだ。彼らのワインはピュリニーの凡庸なワインをはるかにしのぐ市場価格で取引されている。そのためワイン生産地としてのステータスは低くないどころか、むしろ高い。
そして伝統的なムルソーの特徴である樽熟成は、この地のワインに特筆すべき個性を与えた。それはシャブリのステンレスタンクによる熟成とは両極端の個性であった。
シャサーニュ、ピュリニーのワインも樽熟成という個性を持っているが、ムルソーには特級畑がないというのを逆に生かす利点があった。つまり一部のスター・ドメーヌのワインは価格的にも最上級のブルゴーニュ白ワインだが、平均的な生産者やネゴシアンの手によるものを選べば、決して手の届かない価格帯のワインではなかったという点である。2018年現在では信じられないかもしれないが、ワインブーム当時のイメージとしてはピンのムルソーは1万2千円するが、キリなら2980円でもいけたといっても過言ではない。
そこでその両極端な個性と相まって、シャルドネというブドウ品種の作り方による比較対象としてシャブリの相手に選ばれる地位を確立したのだ。
ピュリニー、シャサーニュも樽熟成のシャルドネという個性は同様だが、やや割高であった。

さらにムルソーにはあとひとつ親しみやすかった大きな理由があった。それが名前の短さである。
シャブリ:ムルソー。この対比が日本人にとって、シャブリ:ピュリニー・モンラッシェより親しみやすかったというのは、あながち風説とはいいきれないだろう。シャサーニュ・モンラッシェに至ってはワインブームがはるか昔に通り過ぎた21世紀にあっても、いまだに専門店の商品名にサシャーニュ・モンラッシェとという表記が散見されるくらいなのでいうまでもない。語学者によって日本の言語学史上、フランス語に対するなじみの薄さ、接触してからの歴史の浅さにより、発音になれていない国民にとっては短い文字列が好まれる特性があることが挙げられている[要出典]

 

ムルソーの悲劇

前項で述べた通り、ムルソーはかつて樽熟成をしたシャルドネの代表として名をはせた。前述のとおりその理由のひとつに価格というものがあった。
しかし日本におけるワインの需要が一過性のブームを通り越し、文化としての定着を迎えるにあたり、大きなライバルが立ちはだかる。チリワインを代表としたニューワールドワインである。温暖で安定した気候のもと生産されるシャルドネは果実の時点で十分な糖度を蓄え、低価格帯のワインに使われるブドウであっても樽のフレーバーを受け止めるボディを有していた。
そのためソムリエ資格試験の受験対策として「樽のきいたシャルドネ」を何度も体験したいという受験生たちは、より安価で求める味わいを体験できるこれらのワインを入手するようになり、受験生市場におけるムルソーは影を潜めていったのだ。またKもツイートの中で言及するように近年の市場におけるワイン価格の上昇もその傾向に拍車をかけている。同じ時代に資格試験を受験したもの、ワイン業界に携わったものはおおむね同様の見識を持ったようである。


発端となった投稿の真意


直前の投稿を見るとわかるのだが、発端となった投稿の前日にはソムリエ資格認定の一次試験の結果が発表されており、Kのもとには生徒たちの合格の一報が続々と届いていた。そんな中Kがソムリエ資格認定試験について検索をした結果、たまたま2ちゃんねるの「ムルソーを飲んだことがない」という主旨の受験者(または受験志望者)の投稿を目にし、発端となった投稿をしたと思われる。

実際前述のようにかつてムルソーは、樽を利かせたシャルドネの味を体験するのには最高の教材であった。それは以下の投稿でKも述べるとおりである。

 

うわ、そうでしたか!

昔は(大昔?)
樽のシャルドネ=ムルソー
ステンレスのシャルドネ=シャブリ

で勉強してたのが、新世界のワインが増えてバラエティ豊かになって、そういう時代なんだなぁと(後略)

 

 

当時の教材としての価格がいかほどかは不明だが、投稿の動機は3980円くらいのムルソーがもっとあちこちで購入できた、もしくは販売できた記憶にあったと推測され、現在ではこの投稿は他意のない懐古ネタ投稿として認識されている。

 

来歴にもとづくKの対応

Kは当件においていわゆる炎上した存在であった。しかしネットにおける経験値は今回2ちゃんねるで論争を繰り広げた面々よりはるかに高かったことがわかっている。ワインというある意味で閉鎖的な世界のアイテムがインターネットという開かれたステージに立ったとき、その先陣を切ったいくつかのサイト(テキストサイト:当時はホームページ、HPと称された[要出典])のひとつはKの手によるものであったとされる。それは後述する終息に向けての動きの中で垣間見られるKの対応スキルの中に顕著である(SNSのなかった当時は各サイトに掲示板、BBSと呼ばれる交流ツールが設けられ、そこにおいても同様の論争がままあったことが歴史的な調査結果として報告されている[要出典])。炎上時の鎮火スキルが経験に基づいて構築されるものであることは、多くの有識者が報告している[要出典]

またKを擁護する返信者の中には、ネットにおけるワインサイト黎明期からのベテラン運営者の名前も見受けられた。

一方論争の相手となったものたちはこれから認定試験を受験するという立場から推測して、個人サイトからブログ、SNSへと情報発信の主流が移行して以降の世代であったと推定される。

 

価値観の世代間格差

現在では「ムルソー事変」とは、ワイン資格試験における価値観の世代間格差を浮き彫りにしたできごとであったと認識されている。すなわち、キリのムルソーが2980円[要出典]だった時代の既資格取得者と、ムルソーがキリでも7980円からスタートする新規受験志望者との間に生まれた時代における通貨価値に対する感覚の違いに起因する論争であるという見解である。
また世代間における意見のずれが生じた最大の要因として、2018年現在樽のきいたシャルドネのサンプルとしてムルソーより低価格帯のワインが、日本市場で簡単に見つかるようになっていることがあげられる。

 

事変の終息と与えた影響


事変の終息

Kの発言が、自身の受験当時の樽熟成サンプルの代表がムルソーであり、そのかつての市場価格が2018年現在の相場より安価であったという記憶に基づくものであるという見解が大勢を占めることになる。同様の認識を持つ多くのアカウントが、発端となったツイートに共感をもって返信した。そのことによりKに批判的であった2ちゃんねる住民と、擁護者が多かったツイッタランドの住民はおなじネット上に棲息していても決してイコールではないということが浮き彫りになった(ネット民棲み分けの定理)。
実際には2ちゃんねるを飛び出してツイートに反応したコメントもごく一部を除きおおむね好戦的なものではなく、発信者の立場を理解したうえでの訓戒的なものであったことが、現在ではわかっている。それは両界をつなぐ存在があることの証明であるとされ、またその立ち位置や価値観を証明をした貴重な発言として記録されている(二重生活者[ex:FR]の項を参照)。
またKにおいてはみずから2ちゃんねる出身の批判派に対して、積極的な行動には出ていない。その行動は、あくまで自身のツイッタランドに投稿される意見に対しての対応にとどまった。

Kは擁護派の投稿に頼るだけではなく、経験値をもとに正確な状況をいち早く認識し、批判派に対して個別に真摯な返信をしたうえで、反論ツイートに関してはその内容をリツイートすることで事態の経緯を明確に世間に伝えるといった、公共メディアさながらの対応を取る。これは一部の同世代からはネット上における経験から自然と習得したノウハウに準じた模範的対応と評されている。中にはその高いセーブ力をヘルナンデスくんにたとえる例もあった(なおこの際本人は若林くんだと述べている)。

その後時間を置かず事態は鎮静化し、2018年9月9日時点においては、ほぼ過去のできごととなっている。

 

与えた影響

事変発生後、ツイッタランド上で数件のムルソー購入者による投稿が確認されている。ムルソー事変により、ムルソーの名を目にした一部の世代が懐古的にとった行動(学術的には集団懐古行動[要出典])といわれている。

同時に以上の事実から、ムルソーの流通にこの事変が貢献したという点を評価する声がある。
また結果的には樽のきいたシャルドネを体験するための選択肢がムルソーだけではなくなっているという日本のワイン市場の現状があらためて認識され、Kら20世紀末から始まったワインブーム(別名ワインバブル)を経験した世代が普及活動に努めたその裾野の広がりを再確認する効果をもたらした。


2018年9月のおもな出来事

ムルソー事変の勃発した2018年9月は、台風上陸、地震といった自然災害に見舞われるなど、情勢の不安定な月でもあった。その他のおもな出来事としては以下のような事例が挙げられる。

・9月5日 広島・新井貴浩内野手が現役引退を表明。
・9月8日 テニスの4大大会終戦全米オープン大坂なおみ選手が日本選手初優勝の快挙を成し遂げる。
・9月14日 「チア☆ダン」最終回放映が「全国高等学校クイズ選手権」の放映時間帯と丸かぶりする。


ムルソー事変を描いた作品

ブログ
ルパン四世 EPISODE I「ムルソー事変~Introduction」(2018年、owarai_wine_tokeiya_21st._mirror)
・自由ケ丘の不二子ちゃん(2088年、モソキーパソチ(仮名))

 

関連項目

ムルソー
樽ドネ
日本ソムリエ協会
呼称資格認定試験
テイスティング
峰不二子
自由が丘
キャプテン翼
チア☆ダン
全国高等学校クイズ選手権

 

この項目は、食品・食文化に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしていく可能性がなくもありません。(Portal:食)。

 

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【あらすじ】 アルジェリアのアルジェに暮らす主人公ムルソーの元に、母の死を知らせる電報が、養老院から届く。母の葬式のために養老院を訪れたムルソーは、涙を流すどころか、特に感情を示さなかった。葬式の翌日、たまたま出会った旧知の女性と情事にふけるなど、普段と変わらない生活を送るが、ある日、友人レエモンのトラブルに巻き込まれ、アラブ人を射殺してしまう。ムルソーは逮捕され、裁判にかけられることになった。裁判では、母親が死んでからの普段と変わらない行動を問題視され、人間味のかけらもない冷酷な人間であると糾弾される。裁判の最後では、殺人の動機を「太陽が眩しかったから」と述べた。死刑を宣告されたムルソーは、懺悔を促す司祭を監獄から追い出し、死刑の際に人々から罵声を浴びせられることを人生最後の希望にする。(Source:Wikipedia)
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ルパン四世 EPISODE I「ムルソー事変~Introduction」

俺の名はルパン四世。


誰もがご存知、世界を股にかける大泥棒……あのルパン三世の息子だ。
だけど俺の名はおやじほどに知られちゃいない。

 

どうしてかって?


それは俺がまだかけ出しにすぎないからさ。

 

世間ってやつはわかりやすくて、おやじが偉大であればあるほど、俺の仕事には色眼鏡をかけやがる。

 

たとえば俺がルーヴル美術館に忍び込んだときだ。


俺の仕事は完璧だった。
相棒の次元も五ェ門も文句ない仕事ぶりだった。

 

 

だがやつらはこういった。


しかもSNSを使って、だ。

 

 

──ルパンの息子大したことない。エレガントさ不足──

──偉大な父親を持った息子の苦労は解る。けどそもそも今さらルーヴルっていわれてもしらける──

 

 

考えてもみな?

 


おやじと偉大な初代ルパンとの間には、誰も知らない二世の存在がある。

 


そういうことだ。

 


世間がおやじの功績を忘れるには、まだまだ時間がかかるってこった。

 

天ぷら屋の二代目だって、蕎麦屋の二代目だってそうだろう?
引退した先代の味の記憶が生々しすぎる間は評価されない。
先代が記憶になり、伝説になったとき、はじめてその腕が評価されるんだ。

 

──お前さん、いつの間にやら腕を上げたな──

 

そのとき俺はいうだろう。

俺自身は何も変わっちゃいない。
変わったのはお前さんたちのほうさ。


長い時間をかけてお前さんたちの中でおやじの残り香が消え、その腕前が記憶という伝説になったとき、ようやく俺の腕とまともに向き合うことが出来るってわけさ。

 

だから俺は俺に対するどんな評価も気になんてしやしない。


ただ自分のできることを次元、そして五ェ門とやるだけだ。
俺が欲しいのは名誉でもなければ名声でもない。

 

 

そう、お宝だ。

 


お宝さえあれば、充実した日を送ることが出来る。

 

 

え?
おやじと印象が違う?

 

当たり前だ。
俺はおやじ……ルパン三世じゃない。
俺はその息子、ルパン四世なんだ。

 

 

だがな……。

 

 

お前さんたちのいいたいことはわかってる。

俺にはおやじと比べて足りないものがある。

そういいたいんだろ?

まあ、そうあせるなよ。


おやじにあって、俺にないもの。
お前さんたちがなにをいいたいか。

それは俺にもよくわかってる。

だからちゃんと答えてやる。

 

ライバル?


それは違う。

 

おやじの宿敵だった銭形のとっつぁん。
やつぁ今でも元気だ。


すっかり足腰にガタはきてるが、今でも現役だ。
そして困ったことに、おやじがいなくなった今、やつの獲物はこの俺様だ。

 

いや、俺にも同情してくれよ。
たしかにお前さんたちが、銭形の名を聞いて、懐かしさを覚えるのはわかる。


だけどな、こちとらぁ次元のおやっさんも五ェ門の先代も引退していまや悠々自適、俺と仕事を共にしているのはふたりの息子だぜ。

もはや代替わりしてるんだ。
そう、五ェ門は十四代目ってわけだ。

 

そんなだっていうのに。


とっつぁんはあの日のままだ。


いや、もうとっつぁんというよりじっちゃんだ。
そんな相手とまともに鬼ごっこなんざぁ出来ると思うかぁ?

 

 

待てよ……。


それが俺に対する評価が厳しい理由なのかもしれねぇなぁ。

 

結局「今のルパンはかつて世間を魅了した三世と違い、年寄相手に楽な盗みをしている」そんなとこだろう。


俺の苦労も知りゃしないで。

年寄の相手っつうのはなあ、お前さんたちが思うよりはるかに大変なんだぜ。

 

まあ、いい。
愚痴をいうのが俺の目的じゃあねえ。

 

 

今俺が話そうとしているのは、そう、2018年のできごとだ。

世界にとっては、アメリカの新しい大統領がそれまでとは違う方針を打ち出したはじめたとか、オータニさんがメジャーリーグに衝撃をもたらしたとか、朝鮮半島のきな臭さがハンパねぇだとか、そんなことが記憶に残っているかもしれねえ。

 

だが俺にはまったく違う記憶が残っている。

 

それは何年ぶり、いや、何十年ぶりの猛烈な夏がようやく終わりを告げようとしていた頃のことだ。

 

俺はいつものようにTwitterの画面を眺めていた。

 

おやじの頃とは違って、その頃にはすでにTwitterをはじめとするSNSは、情報源として活用するしかないシロモノだった。
なにしろその情報のスピードは、新聞やテレビのニュースとは桁違いだったからな。
俺たちのように、追手を出し抜く必要がある身分であればあるほど、その画面から目を離すことなんてできやしなかった。

そして次元も五ェ門も別のヤマにとりかかっていた、そんなある日──。

 


いつものように彷徨っていたツイッタランドに俺はとんでもねぇものを見たんだ。

 

 

「不二子、お前いったい何をやらかしちまったんだ」

「え? どうしたのルパン」

「こいつを見てみろよ、不二子」

女は形のいい唇をとがらせた。

「ルパン、あなたねえ、そろそろあたしのこと認めたらどうなの」

「何がいいてえ」

俺の口から出たのは強がった科白だ。


まあ、しようがないと思ってくれ。
俺にはいまだに認められないんだ。

 

「<不二子>じゃなくて」

 

そう、この女がお前さんたちの感じる違和感の正体だ。

 

世間じゃあ、おやじのことを女たらしと呼んでいた。

だがその反面、峰不二子という女に対して、恐ろしいくらい執着する姿を純愛と呼んでもいた。

 

なあ、今あんたも違和感を感じてるんだろう?
俺の語りにはここまで女の姿が出てこなかった。
女たらしの息子らしくないだろ?

 

やっと出てきたのは不二子の名前だ。

 

俺は相棒のことを次元、五ェ門と呼んだ。
次元は苗字だ。息子が同じ名前でも何の問題もねえ。
そして五ェ門のやつぁ襲名制だ。
俺がルパン四世なのとおなじように、やつも十四代石川五ェ門ってわけだ。

 

不二子──。

 

じゃあこの女は誰なんだ。


そういうこった。
誰なんだ。

 

お前さんたちの疑問以上に俺は認めたくねえ。
だけどな……。

 

「そぉろそろ」と不二子は体をくねらせて近づいてくる。

「母さん、って呼んだらどおなのぉ、ルパぁン」

 

はぁ~。

まあ、そういうわけだ。


それにしてもこの女の姿をよく見てみろよ。

おやじが恋焦がれた頃とどこが違うんだ?

唇はつやつやと輝いててるし、今でもウエストがキュッ、そして胸はボイ~~~ン。
そんな女を母さんなんて呼べるか?

 

ってことさ。

そう、世間のだれが見ても不二子は今でも女だってことだ。

そして自由が丘で優雅な暮らしをしている。

 

そんな不二子の何気ない「つぶやき」が、俺にとって忘れられない事件を巻き起こしたんだ。

それは2018年。
平成最後の夏のことだった──。

 

(続く)

tokeiyawine.hatenablog.com

 

 

 

【ウ】ヴァン・ナチュール

ますます活況を呈しているかに思われる、自然派のワイン群。ほんの一年ほどの間に、また少し様相が変わってきた気がする。

かつて、亜硫酸無添加、オーガニック、ビオディナミ、リュットレゾネなどなど色んなキーワードが、この市場を盛り上げてきたが、今語られるワードは「ヴァン・ナチュール」ではないだろうか。

2014年に「自然派ワイン」というキーワードを取り上げた際に危惧していた、このジャンルを愛する人たちの排他的な嗜好は、予測どおり一段と激しさを増している気がするのだが、まあそれは想定の範囲内

とはいえ我々の立場からすると、ボルドーカリフォルニアといった産地のワインを全否定されるというのは、「そもそもワインってぶどうから作った醸造酒のことですよね?」という確認はしておきたくなってしまう。

そしてユーザの排他的な盲信とは別に、この手のワインがワインマーケットに広がってくる中で、新たな問題が発生している。

それはすなわち、今現在のヴァン・ナチュールの旗手、と呼ばれるような作り手の皆さんのワインの類似性だ。つまり製法依存で生まれるこのカテゴリに含まれるワインは、みんなおなじ香りがするのだ。品種の特徴や産地の個性が後回しになった、ヴァン・ナチュールというワイン群が生まれている気がしてならない。

この手の味わいのワインをワインという酒だと思ってしまうと、そりゃたしかにガチガチのメドックや、新樽のバニラ&ビターチョコ漂うカリフォルニアとかを毛嫌いするワイン好きが生まれてしまうのも理解できてしまう。

だけどいっておくけど、こっちが「歴史あるワインという飲み物」だからね。

そもそも以前の記事でも取り上げたが、我々は好みの問題でヴァン・ナチュールを選択する機会は少ないかもしれないけど、否定はしていないからね。そういうジャンルのワイン、そういう理想を掲げた作り手がいることは受容しているんです。なのにこのヴァン・ナチュール党の皆さんは、まるでトラディショナルなスタイルのワインを悪のように批判する。そして飲もうとしない。

もしワインが長い時を経て変化する美しさを持った飲み物でなければ、それでいいのかもしれないけれど、そうであるからこそ歴史の上を生き残ってきたのではなかろうか。なんだかワインのアイデンティティやレゾンデートルに関わる問題のような気がしてきている。

ただふと思い当たったのだが、このムーヴメント、20世紀末のブルゴーニュに似てませんか?

某評論家さんの点数をもらうことが、土地の個性を活かしたその地ならではのワインを作ること以上の目的になり、低温浸漬、大量のSO2添加をほどこした、真っ黒けでローストの香り漂うピノ・ノワールが生まれまくった時代。某コンサルタントがそのスタイルのワイン作りに関わって、目的どおり高評価得点を獲得するブルゴーニュワインが氾濫した世紀末。作り手の個性もアペラシオンの個性もない、ただ色濃いピノが濫造された時代があった。

結果、どうなりましたっけ。

ブルゴーニュのワイン、すなわちピノ・ノワールって、こんなワインだっけ? って、世界中のワインファンがふと我に返り、作っている人たちも夢から覚めて、気付いたらコンサルタントは失脚してませんでしたっけ。

ヴァン・ナチュールと呼ばれるワインが自然派の中でも飛びぬけた革新派の急先鋒のようになっているけれど、普通に農薬を使わないようにしている作り手なんて昔からいたわけで、無農薬、減農薬とは別の目的が生まれてしまった意地っ張りの子どものようなこのジャンルは、ワインに個性がない。

どの国のどのぶどうも、あのおなじ茹でた小豆のような香りに支配されてしまっていて、個性がない。ほら、まさにあの時代のブルゴーニュの再来だ。

ただ20世紀末ブルゴーニュワインと、今回のムーヴメントには大きな違いがある。

ギィ・アッカは賛否両論の挙句、結果的に石もて追われるようにワイン界を去ったが、彼の指導によって作られたワインは、長い時を経た今、美味しくなっているのだ。そりゃそうだ。技巧を凝らしすぎてなんだかちょっとヤッっちまったせいで追われてしまったが、彼が作ったのは異常に重ね着をした、厚化粧のピノだったわけなのだから。

つまり十年で飲み頃になるはずのピノを三十年後に飲み頃を迎えるワインにしてしまったということだ。彼のスタイルが見直されることはやっぱりないと思うけれど、1990年代に彼が残したワインは、今飲めば美味しい貴重な史跡なのだ。たとえるなら滅亡した古代文明の遺跡のようなものだ。もう二度とよみがえりはしないだろう。

しかしそもそも彼の思想が、評論家の高得点を得るということことではなく、1900年代初頭のブルゴーニュワインが色濃く作られていたということを知り、それを再現するためにそのスタイルをつきつめたということらしいので、学術的な価値があるのではなかろうか。そこに濃厚ワイン好きの評論家と、高得点獲得でワインを売り出したい作り手という不幸なトライアングルピースがたまたまそろってしまったのが、あの時代だったのだ。

学究的な側面を持ってスタートしたあの時代と比較して、多分今回のムーヴメントは、単なる今の自分の生活に不満を持っている働きもしない若者たちが起こした、イベントのようなエセデモ行動に過ぎないのではないか。なぜなら三十年後どころか、彼らの作るワインは十年後ですら飲めるかどうか怪しいからだ。いや、五年後ですら怪しい。

そしていまさら、1999年の時点で書いた「亜硫酸無添加ワイン」というネタに回帰していることに気付き、ああ時代はめぐるってこのことなんだなあ、と考える私がいます。

 

 

ダウト! ~ 鉄槌トランプ

ワインブーム期に、異常気象下に大発生するムシのように、突如、世間にはびこったエセワイン通。

 

本来、「通」とは、その道に深く通じ、そして、礼節伴う美しき人々である。


しかし、「エセワイン通」の皆さんは
・ 歴史がない ので、昔の体験がない
・ 経験が浅い ので、広くて浅くて深くない
・ 深みがない ので、礼節をわきまえない
の「ないないづくしのないづくし」。

 

そういうわけで自称では「ワイン通」だが、他人様からは、
「ワイオタ(=ワインオタク)」
と呼ばれ、忌み嫌われる存在となってしまったのだ。

 

そして「ワイオタ」の皆さんは来る日も来る日もワインバーにお出かけ。
なぜレストランではないのかというと、
・ 一人で行ってもヘンじゃない
・ 料理を食べる代金までワインに注ぎ込める
・ カウンター席で話ができる
・ 毎日通って常連になれる
・ グラスワインで種類を楽しめる
などなど、そんなところが理由だろう。

 

当時、ワインバーのカウンターからは、ワイオタたちのうんちくに彩られた自慢話が、
まるで、針の跳んだレコードプレーヤーのように聞こえつづけてきたのである。

 


ワイオタA「この前さぁ久々にイケム飲むチャンスがあってさぁ」

ワイオタB「へぇ~。いいね。何年?」

ワイオタA「それが最近、たまたま試飲会で知り合ったシェフの店でね」

ワイオタB「あぁ~俺、最近、試飲会顔出すチャンスがないんだよねぇ」

ワイオタA「でさぁシェフと妙に気が合っちゃったせいか、サービスでグラス一杯、ね」

ワイオタB「ふぅん。サービスでイケムかよ。隅に置けないねぇ。で、何年?」

ワイオタA「その日たまたま誕生日だったんだ、俺の。で、バースデー年をね」

ワイオタB「すごいジャン。お前何年生まれだっけ?」

ワイオタA「72」

 

 

 

 

 

ダウト。

 

 

 


生産されてません。

 

 

ワイオタB「ふうん。いい熟成してるだろうけど、まだまだ若いね」

ワイオタA「まあね」

ワイオタB「5年前に飲んだ64でもまだ全然若かったもんなぁ」

 

 


ダウト。

そのヴィンテージも生産されてません。

 


ワイオタA「もったいない感じだけど、でもワインは飲んでこそ意味あるしさ」

ワイオタB「たしかに。そういや俺もこの前、ちょっと珍しいのをごちそうになったな」

ワイオタA「なんだい?」

ワイオタB「いや、お前と比べたらしれてるよ。イタリア人の友達んちでなんだけどね」

ワイオタA「え? お前イタリアンの友達なんていたんだ」

ワイオタB「うん。そいつがたまたまタスカンでさぁ」

ワイオタA「ほう。じゃあスーパーのいいヤツだね」

ワイオタB「うん。ボルドーがオフで飲めなくてもタスカンのカベルネはいい年さ」

ワイオタA「何の何年?」

ワイオタB「77オルネライア」

 

 


ダウト。
ファーストリリース以前のヴィンテージです。

 

 


ワイオタA「へぇ。そのヘンは正規じゃ無理だよねぇ」

ワイオタB「まあね。現地にツレのいる特権かな」

 

 

そのツレの存在もダウト。

 

 

ワイオタA「でもタスカンもいいけどやっぱ最後はフランスに帰ってきちゃうんだよね」

ワイオタB「そうだね。俺も原点はフランスかな」

ワイオタA「まあ、元々フランスから入ったせいもあるんだけどさ」

 

 

ダウト。
チリカベはフランスワインではありません。

 

 

ワイオタB「俺もそうだからな」

 


ダウト。

 


ワイオタA「結局、10年かけてフランス回帰する、それがワイン好きってものかもね」

 

 

ダウト。

あなたのワインブームは去年からです。

 


ワイオタB「最初に感動したワインもフランスだからね。原体験って怖いよ」

ワイオタA「俺は今考えりゃたいしたワインじゃないけど70のダルマヤックだったなぁ」

 


ダウト。

その頃ダルマヤックはムートン・バロン・フィリップでした。

 


ワイオタB「シブいねぇ。俺はブル白が原体験なんだよね」

ワイオタA「なに?」

ワイオタB「いや恥ずかしいんだけどさ、ルイ・ジャドのクロ・ヴジョの白」

 


ダウト。
モノポールです。

 

 

ワイオタA「へえ~。マニアックだねえ」

ワイオタB「まあ、昔は安かったからね」

ワイオタA「これからちょっといいワインはどんどん高くなってくんだろうなあ」

ワイオタB「誰も彼もがワインワイン、やってらんないねえ」

ワイオタA「そうだね。そっとしといて欲しいよね」

ワイオタB「でも、きっと高くなってもワインからは離れられないだろうなぁ」

ワイオタA「そうだな。俺も一生ワインとともに生きてくことになるんだろうなあ」

 

 

 

 

 

ダウト!

 

 

 


その発言、まるごと、ダウト。 


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2011>>
これも「VinetX」からもってきました。
なので2003年のネタですね。

「お笑いわいん時計屋」が1999年だと思うと、俺、四年も同じ事やってたんだなあと、感慨深いです。
(今も、な)

微妙な事実関係にやや今となっては自信がありませんが、(オルネライアのファーストヴィンテージって何年だっけ? とかそういうコト)まあ、当時のままで掲載しておきます。
おいおい調べなおすかもしれません。

まあ勢いがあったってことで。


2015>>
このやたらと空行入れたりする書き方は、もう今となってはやりたくないんですけど、これはネタに「溜め」が大事かなと思うので、このまま掲載しました。
あと、なんかタイトルの「鉄槌トランプ」っていうのも、サブカル出身感出てますね。ユメキュウ先生の影響もあります。

 

 

 

1930,51,52,64,72,74年が作られてないっぽいです。

 

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2010ヴィンテージが25周年ボトルでリリースされてます。

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バロンヌにもなる以前です。

 

レリティエ・ギュイヨ時代が懐かしいですね。

サン・ブリ~ブルゴーニュ大管区の攻防

1970年代頃から、フランスワインの法定格付けに静かな異変は起きていた。

フランスの地に強大な権力を持ち、ワインにおいては無敵の独裁体制を敷いてきたINAO帝国は、その勢力をさらに延ばさんと、下位格付けのVDQS連邦に属する独立小国家を次々と、みずからの統治するAOC連合に併合し始めたのである。

しかし併合における過程は、決して平坦な道のりではなかった。いずれのVDQSワインも、その地に古くから根付いてきたものたち。静かだった小国家では、INAO帝国の介入を引鉄に、時として、おらが村を守らんとする古風な百姓と、新しい規格に憧れる黒船ウェルカムな住民たちとの間に、血で血を洗う抗争が起こることも珍しくはなかったのである。

だがそこはさすがに、二十一世紀を視野に併合を進める近代国家、INAO帝国。武力行使ですべてを済ませてきた大戦時の第三帝国とは違い、時には、的外れな南仏に、なぜか根付いていた、うっかりもののカベルネを認可したり、「そんなもん全部、蒸留してオー・ド・ヴィのアペラシオンに入れちまえ!」と叫びたくなるような地方のワインのために、新しい規格を作ったりと 、穏健路線で併合受諾への懐柔を進めたのである。

さらに、最初期の1973年に併合した、コトー・デュ・トリカスタンが2008年のトリカスタン原発事故による、風評被害でワインの販売機会を失いかけたときには、アペラシオンの名称自体をグリニャン・レ・ザデマールに変更してやるといった、アフターケアも万全な姿勢まで打ち出したのだ。なんでそんな呼びにくい名前にしたのかは、よく分からんが。

そんな中、ひとつのドラマは起きていた。

2003年、あるVDQS連邦の小国家が、AOC連合に併合されることになる。そのVDQS名は「ソーヴィニヨン・ド・サン・ブリ」。INAO帝国統治下のブルゴーニュ地方大管区に最後に残った、VDQSワインであった。

ここを併合できれば、ブルゴーニュ大管区統一の野望は成し遂げられる。INAO帝国の作戦本部には、この地を手中に収めるための知恵を出すべく、ソーヴィニヨン・ブラン戦略の専門家として知られた、経験豊富な作戦参謀たちが集められていた。

サンセール大尉
プイィ・フュメ大尉
カンシー少尉
ムヌトゥー・サロン准尉

の四名である。


最初、間違えて、プイィ・フュイッセ大尉も召集されたらしいが、そのあたりはありがちな混同。フュイッセ大尉も、ことを荒立てることなく、会議の席を後にしてくれた。

四名が話し合ったのは、その呼称について。なんでも併合の条件として、小国家側からは、ワイン名の変更をしないこと、という条件が掲げられていたらしい。

ブルゴーニュなのにソーヴィニヨン・ブランを使っているということを、領民に告知し続けたいということか」
「そうだな。地元消費中心だからな。AOC連合に門戸を開くことで、近隣のシャルドネ流入してくるのに備えて差別化しておかないと、地元のワインが消費されなくなるかもしれんと、恐れているのだろう」
「領土内で以前から独立する形でAOC連合入りしている、イランシー特別区の人気がイマイチというのも、影響してるのかもしれませんね」
「ありゃ、周辺のピノAOCのせいとばかりはいえんだろう。止めておけといってるのに、セザールなんてブドウを混醸するからいかんのだ。ピノだけで作っておけばいいものを」
「いや、それでは個性がなくなるではありませんか」
「だが、そんなことをするから、お前はパストゥグランかみたいなツッコミが、いつまで経ってもかわせんのだよ。土地の個性だなんだにこだわりすぎなのだ。駆け引きのイロハも分かっていない。ボウヤだからさ」

四つの頭脳は喧々囂々、議論を戦わせていた。中でも強大な発言権を持ち、そして互いにライバル意識をむき出しにしていたのが、サンセール大尉と、プイィ・フュメ大尉の両名であった。

サンセール大尉がそもそもの穏健路線を支持して、「その名称を残せ」といえば、プイィ・フュメ大尉は強行に「聖なる名称のサンを名乗るのもおこがましいわ。もういっそブリにしてしまえ!」と主張する始末で、両者より若い、カンシー少尉とムヌトゥー・サロン准尉には口を挟む隙すらない。

このままでは、作戦そのものが頓挫するのではないかという有り様であった。

だが、その時作戦本部の奥、高級士官室のドアが開き、一陣の風が吹いた。

「名前、短いほうが売れますぞ」
現れたのは、ブルゴーニュ特区の重鎮の一人、ビアンヴニュ・バタール・モンラッシェ少佐であった。
「ワシより、バタール・モンラッシェ中佐、バタール中佐より、モンラッシェ大佐。分かるだろ」
その通達は、速やかに小国家の代表へと伝えられた。
そしてそれは受け入れられたのである。

こうして2003年、アペラシオン「サン・ブリ」が誕生したというのは、VDQS規格が消滅した2011年以降も、歴史の闇に封印されたままである。


次回
「死闘! コート・デュ・ブリュロワ」
に続く(わけがない)。

 

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くだんのブリさん

 

サンセール大尉

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プイィ・フュメ大尉

 

カンシー少尉

 

ムヌトゥー・サロン准尉

 

穏健派

 

ビアンヴニュ(以下略)少佐

 

コート・デュ・ブリュロワ(どこ!?)

ポムロル~シンデレラの目覚めを許さない平和理論

ボルドー赤の銘醸地を分類整理するとしたら、まず最初のひと太刀は河の左岸、右岸という区切りで、誰しも文句はいうまい。左岸は当然メドック、グラーヴで、不変の厳然たる格付けに支配された、身分社会だ。

対する右岸を代表するのは、サンテミリオンとポムロルということになるだろう。そのうちサンテミリオンは、こちらも格付け社会。ただし、その格付けは定期的に見なおされており、その都度、新進勢力が台頭してくるなど、参院選のような様相を呈している。

さて、問題はポムロルだ。ボルドーの四大赤ワイン銘醸地の中で、格付けのないここは、まさに無法地帯。古くからフランス国内にとどまらず、世界中のワインを見てもトップクラスの高値で取引をされてきた、ペトリュスの存在は別格として、それ以外はフリーダム。歴史のある安定勢力はあるにはあるが、ル・パンのように、ペトリュスの地位に肉薄するかのような勢いを持つシンデレラが、突如現れる油断ならない地区なのだ。

しかし面白いことに、シンデレラブームのようなものがひと段落した今、あらためて見てみると、ル・パンを除けば、このアペラシオンの最上位に名を連ねているのは、意外にも歴史のあるシャトーがほとんどであることに気付く。

かつてサンテミリオンは、ヴァランドロー、テルトル・ロトブフといった、一夜明けたらのオーバーナイト・サクセスの実在を世界に知らしめた、シンデレラシャトーの一団を生み出した。そして彼らは今も、昇り詰めたその地位をある程度はキープし、旧勢力と肩を並べたまま、安定勢力の仲間入りを果たしている。

また左岸もマルゴーあたりでは、小規模なワイナリーが作るワインが、下位格付けのシャトーを超える高値を付けて、ガレージシャトーなどという言葉を広めた時期があった。

比べてポムロルは、こんなに自由に何かが起こせる条件を備えながら、地区全体を飲み込みかねない大きな変革の波というものが立ったことがない、不思議なアペラシオンなのではないだろうか。なぜだ。

押し寄せろ、ビッグウエンズデー!
叫べ、若き闘士の魂よ!


あれ?


へんじがない。ただのしかばねのようだ。


結局、体制のないところには反体制は生まれず、政府なきところに革命は起きないのだ、という、ある種の平和理論を想起せずにはいられない。

 

 

 

メドック

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グラーヴ。

 

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へんじがない。ただのしかばねのようだ。